世の中には押井守監督の作品がつまらない
、とか意味がわからないと言う人が意外といる様で、見る角度が
ザ『大衆』と言う感じがした。
マトリックスも本質を見ていない人には『1以外はクソだ』と口を揃えて言うんです。やはり
マトリックスはこの映像の印象が強く、
ガワだけしか見ていない人には確かに
2以降はつまらなく感じてしまう仕様。
前にも書いたかもしれませんが
2の『ツインズ』とは『劣等感』と『優越感』
の比喩であり、その感情に従って行くと自我の
暴走でえらい事になる、と言う描写が描かれて
います。
又、劣等感も優越感もありもしない『幻想』
と言う表現もされており銃弾も効かず物質をすり抜けてしまいます。思考や大いなる源等のお話。
コレを追って行くと悪い方へ崩壊。
そうこうしているとエージェントスミスが
現れ次々と車を連鎖的に破壊。
エージェントスミスは自動的に沸く『思考』
の比喩。
3は最後、エゴを受け入れる事でエージェントスミスが全滅。あの時ネオはわざと攻撃を交わさずに
『あえて』交わすことをしなかったのは、エゴを受け入れる事で統合できることを知っていたから。
4では最後、エージェントスミスが味方になるのも、うまく思考を飼い慣らす事ができる様になったから。
エンディングのトリニティーの指パッチンで
ラスボスの口が治るのも、実は自分たちが大いなる源であるから、という事。
キャストのほぼ総入れ替えも前世と同じ事を
肉体と言う器を借りたキャスト(中身は同じ、だって自分)で何度も繰り返している、又は単位でも
自分の奥にある意識が投影されている
表現であったという事。
面白い事に、YouTubeでの解説はどれも
左脳的な解説で作者の意図とは違った解釈をしていて、宇宙人に馬鹿にされる訳だと思いましたよね。
物質主義には絶対に理解できない映画となっております。
現代病と言うやつでしょうか。
映像のまま解釈する癖は。
いやいや押井守監督の話で何故にマトリックスが?
とお思いでしょう、しかしこのマトリックス自体
攻殻機動隊というアニメにかなり影響を受けており、
オマージュされたシーンが出てきます。
そしてその攻殻機動隊と言うアニメを作ったのが何を隠そう、押井守氏なのです。
ビューティフルドリーマーはこう言った視点を
語っているんですが、分からない人には
『つまらない』と言う解釈に。
『お兄ちゃんはね、好きな人を好きでいる為に
その人から自由でいたいのさ』諸星のラストの
セリフ、コレは潜在的な意識、無意識の部分が
作用されている事を知っている、そう言う
意図。
追うと逃げられる、逃げようとすると足が絡まる。
実はコレに気づいた人はアーティストでもいるんですね。バンアパの原さん(ベーシスト)
是非是非この方の動画を見る事をお勧めします。
話は戻り、ビューティフルドリーマーへ。
現実へ戻る方法を知っている少女は『会いたい人の名前を呼ぶ、呼べない人はきっと目が覚めるのが嫌なのね』と言う、そしてその後『その代わり…責任とってね!』と言うシーン。
そしてそのバックにはDNAらせん構造。
少女は『誰でも知ってるよ、ただ…目が覚めるとみんな忘れちゃうの』と言う。
ここで言う『覚める』は夢から覚めた現実の事。
大いなる源モードは実は人類共通で『夢を見ている時』の事。
又はこの世に生まれてすっかり自我に飼い慣らされ
大いなる源である事をすっかり忘れてしまった『全体(自分)』と言う事を語っている。
大いなる源や個である意識については江原啓之さんのスピリチュアルバイブルがわかりやすいですがこちらの阿部敏郎さんの動画でも多少語られてますので貼っておきます。
イケメンキャラ面堂が中盤、奇妙な現象を
見てしまうシーンがある。隔離された
友引町にある蛇口。捻っても水は出ない。
しかしラムちゃんが捻るとドバッと
水が出る現象に気づいてしまいます。
作中では夢を自在に操る悪霊がこの
友引高校の誰かの夢を作り、その夢の中に
いる事で無限ループをくり返しているのでは無いか
と皆が気付き始め徐々に真相に近づいて行く、
といった描き方をしていますが、実際の所は
監督が現実世界で『意識の振る舞い次第で現象が変わる現象を見た』と言う出来事を経験し、その体験を崩して取り入れたとんでもないアニメなんですこれは。
僕が価値観の投影であると悟った時、
本当にこのシーンの様な感じだったので
よく分かります。
投影である事を完全に理解している↑
そして押井守監督のビューティフルドリーマーもこの類の映画であり、単にそれっぽい知識を詰め込んだだけの映画では無い事は、自分と向き合ってきた人にとって簡単に見破る事ができる筈です。
大衆の表面的な解釈に騙されてはいけません。
、とか意味がわからないと言う人が意外といる様で、見る角度が
ザ『大衆』と言う感じがした。
マトリックスも本質を見ていない人には『1以外はクソだ』と口を揃えて言うんです。やはり
マトリックスはこの映像の印象が強く、
ガワだけしか見ていない人には確かに
2以降はつまらなく感じてしまう仕様。
前にも書いたかもしれませんが
2の『ツインズ』とは『劣等感』と『優越感』
の比喩であり、その感情に従って行くと自我の
暴走でえらい事になる、と言う描写が描かれて
います。
又、劣等感も優越感もありもしない『幻想』
と言う表現もされており銃弾も効かず物質をすり抜けてしまいます。思考や大いなる源等のお話。
コレを追って行くと悪い方へ崩壊。
そうこうしているとエージェントスミスが
現れ次々と車を連鎖的に破壊。
エージェントスミスは自動的に沸く『思考』
の比喩。
3は最後、エゴを受け入れる事でエージェントスミスが全滅。あの時ネオはわざと攻撃を交わさずに
『あえて』交わすことをしなかったのは、エゴを受け入れる事で統合できることを知っていたから。
4では最後、エージェントスミスが味方になるのも、うまく思考を飼い慣らす事ができる様になったから。
エンディングのトリニティーの指パッチンで
ラスボスの口が治るのも、実は自分たちが大いなる源であるから、という事。
キャストのほぼ総入れ替えも前世と同じ事を
肉体と言う器を借りたキャスト(中身は同じ、だって自分)で何度も繰り返している、又は単位でも
自分の奥にある意識が投影されている
表現であったという事。
面白い事に、YouTubeでの解説はどれも
左脳的な解説で作者の意図とは違った解釈をしていて、宇宙人に馬鹿にされる訳だと思いましたよね。
物質主義には絶対に理解できない映画となっております。
現代病と言うやつでしょうか。
映像のまま解釈する癖は。
いやいや押井守監督の話で何故にマトリックスが?
とお思いでしょう、しかしこのマトリックス自体
攻殻機動隊というアニメにかなり影響を受けており、
オマージュされたシーンが出てきます。
そしてその攻殻機動隊と言うアニメを作ったのが何を隠そう、押井守氏なのです。
ビューティフルドリーマーはこう言った視点を
語っているんですが、分からない人には
『つまらない』と言う解釈に。
『お兄ちゃんはね、好きな人を好きでいる為に
その人から自由でいたいのさ』諸星のラストの
セリフ、コレは潜在的な意識、無意識の部分が
作用されている事を知っている、そう言う
意図。
追うと逃げられる、逃げようとすると足が絡まる。
実はコレに気づいた人はアーティストでもいるんですね。バンアパの原さん(ベーシスト)
是非是非この方の動画を見る事をお勧めします。
話は戻り、ビューティフルドリーマーへ。
現実へ戻る方法を知っている少女は『会いたい人の名前を呼ぶ、呼べない人はきっと目が覚めるのが嫌なのね』と言う、そしてその後『その代わり…責任とってね!』と言うシーン。
そしてそのバックにはDNAらせん構造。
少女は『誰でも知ってるよ、ただ…目が覚めるとみんな忘れちゃうの』と言う。
ここで言う『覚める』は夢から覚めた現実の事。
大いなる源モードは実は人類共通で『夢を見ている時』の事。
又はこの世に生まれてすっかり自我に飼い慣らされ
大いなる源である事をすっかり忘れてしまった『全体(自分)』と言う事を語っている。
大いなる源や個である意識については江原啓之さんのスピリチュアルバイブルがわかりやすいですがこちらの阿部敏郎さんの動画でも多少語られてますので貼っておきます。
イケメンキャラ面堂が中盤、奇妙な現象を
見てしまうシーンがある。隔離された
友引町にある蛇口。捻っても水は出ない。
しかしラムちゃんが捻るとドバッと
水が出る現象に気づいてしまいます。
作中では夢を自在に操る悪霊がこの
友引高校の誰かの夢を作り、その夢の中に
いる事で無限ループをくり返しているのでは無いか
と皆が気付き始め徐々に真相に近づいて行く、
といった描き方をしていますが、実際の所は
監督が現実世界で『意識の振る舞い次第で現象が変わる現象を見た』と言う出来事を経験し、その体験を崩して取り入れたとんでもないアニメなんですこれは。
僕が価値観の投影であると悟った時、
本当にこのシーンの様な感じだったので
よく分かります。
投影である事を完全に理解している↑
そして押井守監督のビューティフルドリーマーもこの類の映画であり、単にそれっぽい知識を詰め込んだだけの映画では無い事は、自分と向き合ってきた人にとって簡単に見破る事ができる筈です。
大衆の表面的な解釈に騙されてはいけません。
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