"5次元覚醒への道"カテゴリーの記事一覧
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覚醒への道は、山あり谷あり。
どちらかというとマイナスな面の方が多い。
孤独で悲しく、胸が張り裂ける。
皆さんのそのどうしようもない負の体験を
褒めてあげてください。
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最近気づいた事でアヤワスカで体験する手順は覚醒者の手順と
全く同じだということでした。最初の方に自分の嫌なところを見せられ
受け入れる事で初めて次のステップへ行けます。
僕も覚醒前は人生失敗続きで、過去の記憶を旅して失敗の原因を
探していました。すると「あいつが悪い」と思っていたことが、
実は全部僕が悪い事に気づいてしまった瞬間がありました。
地獄の始まりでした。
自分が信じられなくなり、行動や言葉すべてが嘘つきの
ソレに感じました。お腹の中にまるでブラックホールが生まれたように
ぶるぶると震えだし、体が鉛のように重くなったり、ありもしない痛みが
体中に出るようになったり、コンクリートが波打つ幻覚を見たりと
とにかく「自分はマシな人間である」という幻想をすべて崩される体験を
させられました。
そしてその後、八百屋のアルバイトでパズルのピースをゲットして数か月後
に覚醒するわけですが、やはりそこに至るまでの軌跡としてどん底は
必ず体験する必要があるようです。
この手順、アヤワスカ動画を見てると全く同じに感じました。
つまり自分と向き合う準備ができていないとむしろ耐え切れずに殻に閉じこもってしまう
可能性が高く、安易にはお勧めできないんですね。
さらに解釈がずれてただの神秘体験で終わってしまう、
youtubeの数あるアヤワスカ動画を拝見するとそんな感じでした。
ちなみにアヤワスカを手軽化する活動があるようですが、僕はあまりお勧めしない
活動だと思っています。ゲームでだとえるなら、「チートコードで最終面にいきなり
飛んで、ストーリーも操作方法も理解してないままLv1でラスボスと戦う」そんな感じかな~と。
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この界隈では非常に基本的な考えの意識ですが、
いざ説明しようとすると、そこらにある情報のように結局ありふれた
話になってしまう事に気づきます。
重要なのは知識ではなくどうやって体験するかの軌跡。
写し鏡がどのように作用しているか、そこを知っていく必要がありますが
ふわっとした情報で結局どこがリンクしているのか見つけることができず
無限ループに陥ってしまいます。
この仕組みはいたってシンプルなのですが、説明するとなると
非常に難儀です。単純に自分の価値観が反映されているのですが、
生まれてから何十年と数えきれない概念を作って来た分けで、
その概念が100%調和(良くも悪くも)して"現実"を作るわけです。
構造は「こうである!」と言う価値観が「反映されている」、
というシンプルな構造が自分が思った概念だけ生成されるだけです。
3次元意識で見ると、思っている事の逆が現象として起きるように感じます。
実質逆です。
そこに注目するといいかもしれません。
どのようにリンクしているのか?
の具体的な「事例」を出来るだけ情報として探すと
より良いです。何事にも手本がないと難儀です。
ただ、覚醒体験者のyoutubeを見てもあまり参考にならない
事も多く、そこがむしろ混乱する要因にも思いましたんで
なんともです。
それとイメージで「手放す」等を実践しても無意味です。
この技術は覚醒後、しかもかなりの段階に進んだ状態で初めて有効になります。
なぜなら深いところで「そんな世界に自分は住んでいない」という疑いがあるからです。
この概念がガッチリと固定されているので、電球を外して新品に変えるとか、イメージの中で
いらない概念を爆破させても何も変わらないのです。
僕が1回目か2回目の覚醒の時にかなり高次な意識に一時的に
なったのですが、「すごい!何でもできるじゃん!」という気持ちになりました。
この状態は確かに意識次第で実現可能だと思います。
ちょうどアヤワスカのように思った事が具現化し始めます。
彼らは「この状態での意識」でものを言っているんだな、というのが
この時分かったわけです。
つまり、覚醒前の人が実践しても何の効果もない事だということです。
僕の場合、というかよく覚醒者の話を聞いても必ずどん底を体験しています。
なのに覚醒者はその軌跡をすっ飛ばしてふわっとした事を
言い余計に未覚醒者の混乱を招いてる、そんな感じに僕は思っているんですね。
しかし、チャネリング先の情報は1手2手も先を読んでおり、これはこれで
政界でもあると思っています。
「ジャッジしてはいけない」とか
「手放す」とか、実はやるべきことは反対なのです。
「ジャッジしてしまう!」「手放せない!」
↑このループが無限に再現されると人はどうなるか・・・
そう、それこそ覚醒への手引きだったのです。
疲れ果て、「うわぁぁぁ!!もうどうでもいいやぁ!!」
と全てをあきらめる瞬間がやってくるわけです。
これが彼らの狙いだったというわけです。
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昔の投稿動画をあさっていたら、「本当に気持ち悪い声だと思うわ、生理的に無理な」というコメントが
が流れて来た。劣等感の渦巻く世の中ではついついマウントを取って憂さ晴らししたくなるもの。
気持ちはわからなくはない。
10年以上前の話。
サイトの指向性は創設者に似るのか。キッズ特有の
善悪の糞便がつかないアレか、それとも堕落したガワが大人の子供か、
いずれにしても受けた側のダメージは想像以上に大きい。
僕がカラオケ嫌いなのもここに原因がある。
許容していたら歌付きの曲なども作っていただろう。
ドリームキラーじゃないけど、「自分の劣等感」という武器を
「他人の傷口」にねじ込んでくる輩が本当に多い。
そういう人たちが未来ある若者を食いつぶしていく。
ありがたいことに、僕はこういった攻撃にあまり合わないように
守られているようだけど、それでも攻撃は来る。
昔はニコニコぐらいで済んでいたけど今年、youtubeのコメントも質が下がり
5ch化してきている事から日本のネット民度は世界でも下の方。
匿名の時代はそろそろ終了する。
その時に吐き出し口を失った劣等感の集団は、
どういった行動をとるか?
容易に想像できる。
当然、足の引っ張り合いが行われるハズ。
世の中の動きに合わせすでに行動している人は
自立への道を模索している。
残された人々は、「会社が悪い」「政治が悪い」
こういった感じで互いの性にして最後には孤立してゆく。
僕の予想はこんなところですが、流行りの2極化「振り分け」
は実は慈悲深いと思っている。
僕も何度もそれそうになったが、軌道修正できるチャンスが
盛り込まれているように感じたことが何度もあった。
だから「振り分けられる」と言う不安はあまり感じないで欲しいと
個人的に思っている。
今回のとあるチャンネルの炎上にしても、反省し立て直した自分がいるので
「促しの一環」ととらえるのがちょうどよいかと思う。
というか僕は経験からそう確信している。
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と言うべきか、思い出していると言うべきか。
例の不毛なコメント書き込み、そしてそれに反発するコメント達。
どちらも(+)と(−)は表裏一体なので
僕も同じ穴の狢。人のこと言えるどころか全てブーメラン。
何か凄く虚しさを感じました。
更に賛同する人も少なく(コレはむしろ反応せず俯瞰してるポジションがより精神性が高い)とてもガッカリしました。
賛同して欲しいと言う自分がいる方にも気持ち悪さを感じたし、過去に助けて貰えなかった自分の辛さを思い出し良くないなと思いながらも庇うような形で、しかしそこには攻撃的な側面も含めて書き込んでしまった事のみみっちさに打ちひしがれていました。
アンチのコメントは論外として、その論外と同等の自分に絶望感。結局は虚栄心を重ねたオナニーでしかありませんでした。
と同時に
コレだけ頑張っても評価されず
寧ろ白い目で見られる事に嫌気がさしたと言うか、
もう誰とも関わりたくないと言う気持ちも湧き上がって来ました。
別チャンネルなどに書き込んだ
僕のコメント(肯定的)も空気の様に
なにも。
空虚感の渦巻く世界が空虚感を作り出す。
本当にわかってないのは僕の方なんじゃないかと、
どんどんわからなくなっていく。
しかしあの時感じた未来には
確かな確信を覚えている。
そしてこの絶望の中
何かを失って、何かを得た気がする。